映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」公式サイト » THE BAND&MEMBER

 1959年にカナダで人気を博したアメリカの南部出身のロカビリー・シンガー、ロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスのメンバーとしてスタートする。1番最初にメンバーとなったのはリヴォン・ヘルムで、その後、ロビー・ロバートソンが入る。やがて、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンも加入し、ザ・バンドの母体が出来上がる。

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その後、ニューヨークでボブ・ディランから声がかかり、65年と66年にかけて、彼のバックバンドとなり、ツアーに出た。67年にはディランや彼のマネージャー、アルバート・グロスマンの誘いもあって、ニューヨーク郊外のウッドストックに移る。ピンクに塗られた“ビッグ・ピンク”と呼ばれる家で、創作活動に励む。66年にオートバイ事故を起こしてウッドストックで隠遁生活を送っていたディランとも、日々、セッションを行い、100曲以上の曲が残されたという。その時の音源は75年にアルバム『地下室(ザ・ベースメント・テープス)』として発表され、高い評価を得ることになる。

アルバム・デビューとなったのは68年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でサイケデリック文化の全盛時代にルーツ・ミュージックの魅力を独自の解釈で再発見した音楽は反響を呼び、歴史に残る名盤となった。このアルバムに収録された名曲『ザ・ウェイト』は69年に世界に衝撃を与えた革新的な映画『イージー・ライダー』でも使われ、大きな反響を残した。また、70年にアメリカのニュース雑誌<タイム>の表紙も飾っているが、彼らはこの雑誌の表紙を飾った初の北米のロック・グループとなった(「カントリー・ロックの新しい音」というタイトルの特集が組まれている)。

さらなる傑作『ザ・バンド』(69)、ウッドストック劇場での観客なしのライブ演奏『ステージ・フライト』(70)、ニューオリンズ・サウンドのアラン・トゥーサンも参加した『カフーツ』(71)、71年のニューヨーク・ツアーを収録したライブ盤『ロック・オブ・エイジズ』(72)、カバー曲集『ムーンドッグ・マチネー』(73)、最後の傑作といわれる『南十字星』(75)、解散前に作られた『アイランド』(76)といったアルバムを発表。カナダ人が4人というメンバー構成ながらも、ブルースやカントリーといったアメリカのルーツ・ミュージックにこだわり、それをロックンロールと合体させることで通好みのサウンドを作り上げてきた。74年にはボブ・ディランと再びツアーにも出ていて、その様子はディランのアルバム『偉大なる復活』(74)で聴くことができる。

バンドとして初めてコンサートを行ったのはサンフランシスコのウィンターランドだったが、活動から16年後の76年に同じ場所で解散コンサート行うことになった。それは“ラスト・ワルツ”と名づけられ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ヴァン・モリソン等、彼らと交流のあった豪華なメンバーたちもゲスト出演。当時、レコード3枚組のアルバムとなり、マーティン・スコセッシ監督による映画化も実現。コンサート映画の傑作として高い評価を受けた。

解散の原因のひとつはロバートソンとヘルムとの対立とも言われていたが、82年からロバートソン以外のメンバーたちはライブハウスなどでザ・バンドとして再び活動を始める(ただし、リチャード・マニュエルは86年に自殺)。初アルバム『ジェリコ』(93)、『ハイ・オン・ザ・ホッグ』(96)、『ジュビレーション』(98)などのアルバムも発表するが、99年にリック・ダンコの他界によって活動停止となった。

ザ・バンドは94年にはロックの殿堂入りも果たす(この時、ロバートソンも舞台に立ったが、リヴォンが出演を拒否した)。08年にはグラミー賞の功労賞も獲得している。


ロビー・ロバートソン
Robbie Robertson

1943年、カナダのトロント生まれ。グループではギター、作曲などを担当。10代の時からギターを始め、ロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスの一員となる。その後、ホークスはザ・バンドとなる。バンドを脱退したのは76年で、ソロのアーティストとしては『ロビー・ロバートソン』(87)、『ストーリーヴィル』(91)、『ネイティヴ・アメリカン』(94)、『コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッドボーイ』(98)、『ハウ・トゥ・ビカム・クレアボヤント』(11)、『シネマティック』(19)などを発表。00年からはドリームワークス・レコードのクリエイティヴ・エグゼクティヴも担当。グラミー賞の特別功労賞も受賞。

『ラスト・ワルツ』(78)の後は、この映画で意気投合したマーティン・スコセッシ監督のために映画音楽も担当している。スコセッシと組んだ映画には『レイジング・ブル』、(80)『キング・オブ・コメディ』(82)、『ハスラー2』(86)、『カジノ』(95)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01)、『ディパーテッド』(06)、『シャッター アイランド』(10)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)、『沈黙―サイレンス』(16)、『アイリッシュマン』(19)などがある。映画はジョディ・フォスター主演の“Carney”(80 )もあり、製作、共同脚本、出演も果たす。16年には回想録、『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』(DU BOOKS)を発表して、<ニューヨーク・タイムズ>のベストセラー・リストにも入った。

リヴォン・ヘルム
Levon Helm

 1940年、アメリカのアーカンソー生まれ、2012年、死去。グループ中、ただひとりのアメリカ人で、ヴォーカル、ドラム、マンドリン、ギターなどを担当。ザ・バンド解散後は自身のバンド、リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズを結成して77年にはアルバムも発表。83年以降はザ・バンドの再結成メンバーのひとりとなる。ソロ名義でもアルバムを10枚ほど発表。『ダート・ファーマー』(07)や『エレクトリック・ダート』(09)ではグラミー賞も受賞。俳優としても活動し、『歌え!ロレッタ愛のために』(80)、『ライトスタッフ』(83)、『フィーリング・ミネソタ』(96)、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(05)などに出演。93年には回想録『ザ・バンド 軌跡』(音楽之友社)も刊行。また、2010年にはドキュメンタリー映画“Ain’t in It for My Health:A Film about Levon Helm”も作られている。

リック・ダンコ
Rick Danko

1942年、カナダのオンタリオ州生まれ、99年死去。ヴォーカル、ベース、ギター、フィドルなどを担当。ロニー・ホーキンスにスカウトされ、ザ・バンドの前身だったバンド、ホークスに加入。ザ・バンドの解散後はソロ・アルバム『リック・ダンコ』(78年)を発表。その後も数々のアルバムをリリースしている。また、リヴォンと共に83年に再結成されたザ・バンドにも加入しているが、ダンコの他界によって、新生ザ・バンドは活動休止となる。

リチャード・マニュエル
Richard Manuel

 1943年カナダのオンタリオ州生まれ、86年死去。ヴォーカル、ピアノ、ドラムを担当。子供の頃から聖歌隊で活動し、ピアノを弾いていた。地元のバンド、ロッキン&リボルズに入り、後にロニー・ホーキンスにスカウトされて、ザ・バンドに加入。83年の再結成のメンバーでもあった。繊細で心に響く歌声を評価されつつも、アルコールやドラッグに走り、最終的にはモーテルで自殺した。ソロのアルバムは作っていないが、85年のライブ音源を集めた『ウィスパリング・パインズ~ソロ・ライブ』が02年に発表されている。

ガース・ハドソン
Garth Hudson

 1937年カナダのオンタリオ州年生まれ。キーボード、シンセサイザー、オルガン、アコーディオン、サックスなど、あらゆる楽器が得意なマルチプレイヤーで、ウエスタン・オンタリオ大学で正規の音楽教育も受けている。他のメンバーたちに演奏方法や編曲を教えていたといわれる。83年以降の新生ザ・バンドにも加入。ソロのアルバムとしては01年の『ガースの世界』他、何枚か発表している。また、映画音楽の仕事にも協力していて、『レイジング・ブル』(80)、『キング・オブ・コメディ』(83)、『ライトスタッフ』(83)などにかかわった。