1959年にカナダで人気を博したアメリカの南部出身のロカビリー・シンガー、ロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスのメンバーとしてスタートする。1番最初にメンバーとなったのはリヴォン・ヘルムで、その後、ロビー・ロバートソンが入る。やがて、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンも加入し、ザ・バンドの母体が出来上がる。
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アルバム・デビューとなったのは68年の『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でサイケデリック文化の全盛時代にルーツ・ミュージックの魅力を独自の解釈で再発見した音楽は反響を呼び、歴史に残る名盤となった。このアルバムに収録された名曲『ザ・ウェイト』は69年に世界に衝撃を与えた革新的な映画『イージー・ライダー』でも使われ、大きな反響を残した。また、70年にアメリカのニュース雑誌<タイム>の表紙も飾っているが、彼らはこの雑誌の表紙を飾った初の北米のロック・グループとなった(「カントリー・ロックの新しい音」というタイトルの特集が組まれている)。
さらなる傑作『ザ・バンド』(69)、ウッドストック劇場での観客なしのライブ演奏『ステージ・フライト』(70)、ニューオリンズ・サウンドのアラン・トゥーサンも参加した『カフーツ』(71)、71年のニューヨーク・ツアーを収録したライブ盤『ロック・オブ・エイジズ』(72)、カバー曲集『ムーンドッグ・マチネー』(73)、最後の傑作といわれる『南十字星』(75)、解散前に作られた『アイランド』(76)といったアルバムを発表。カナダ人が4人というメンバー構成ながらも、ブルースやカントリーといったアメリカのルーツ・ミュージックにこだわり、それをロックンロールと合体させることで通好みのサウンドを作り上げてきた。74年にはボブ・ディランと再びツアーにも出ていて、その様子はディランのアルバム『偉大なる復活』(74)で聴くことができる。
バンドとして初めてコンサートを行ったのはサンフランシスコのウィンターランドだったが、活動から16年後の76年に同じ場所で解散コンサート行うことになった。それは“ラスト・ワルツ”と名づけられ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ヴァン・モリソン等、彼らと交流のあった豪華なメンバーたちもゲスト出演。当時、レコード3枚組のアルバムとなり、マーティン・スコセッシ監督による映画化も実現。コンサート映画の傑作として高い評価を受けた。
解散の原因のひとつはロバートソンとヘルムとの対立とも言われていたが、82年からロバートソン以外のメンバーたちはライブハウスなどでザ・バンドとして再び活動を始める(ただし、リチャード・マニュエルは86年に自殺)。初アルバム『ジェリコ』(93)、『ハイ・オン・ザ・ホッグ』(96)、『ジュビレーション』(98)などのアルバムも発表するが、99年にリック・ダンコの他界によって活動停止となった。
ザ・バンドは94年にはロックの殿堂入りも果たす(この時、ロバートソンも舞台に立ったが、リヴォンが出演を拒否した)。08年にはグラミー賞の功労賞も獲得している。
Robbie Robertson
1943年、カナダのトロント生まれ。グループではギター、作曲などを担当。10代の時からギターを始め、ロニー・ホーキンスのバックバンド、ザ・ホークスの一員となる。その後、ホークスはザ・バンドとなる。バンドを脱退したのは76年で、ソロのアーティストとしては『ロビー・ロバートソン』(87)、『ストーリーヴィル』(91)、『ネイティヴ・アメリカン』(94)、『コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッドボーイ』(98)、『ハウ・トゥ・ビカム・クレアボヤント』(11)、『シネマティック』(19)などを発表。00年からはドリームワークス・レコードのクリエイティヴ・エグゼクティヴも担当。グラミー賞の特別功労賞も受賞。
『ラスト・ワルツ』(78)の後は、この映画で意気投合したマーティン・スコセッシ監督のために映画音楽も担当している。スコセッシと組んだ映画には『レイジング・ブル』、(80)『キング・オブ・コメディ』(82)、『ハスラー2』(86)、『カジノ』(95)、『ギャング・オブ・ニューヨーク』(01)、『ディパーテッド』(06)、『シャッター アイランド』(10)、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(13)、『沈黙―サイレンス』(16)、『アイリッシュマン』(19)などがある。映画はジョディ・フォスター主演の“Carney”(80 )もあり、製作、共同脚本、出演も果たす。16年には回想録、『ロビー・ロバートソン自伝 ザ・バンドの青春』(DU BOOKS)を発表して、<ニューヨーク・タイムズ>のベストセラー・リストにも入った。
Levon Helm
1940年、アメリカのアーカンソー生まれ、2012年、死去。グループ中、ただひとりのアメリカ人で、ヴォーカル、ドラム、マンドリン、ギターなどを担当。ザ・バンド解散後は自身のバンド、リヴォン・ヘルム&RCOオールスターズを結成して77年にはアルバムも発表。83年以降はザ・バンドの再結成メンバーのひとりとなる。ソロ名義でもアルバムを10枚ほど発表。『ダート・ファーマー』(07)や『エレクトリック・ダート』(09)ではグラミー賞も受賞。俳優としても活動し、『歌え!ロレッタ愛のために』(80)、『ライトスタッフ』(83)、『フィーリング・ミネソタ』(96)、『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』(05)などに出演。93年には回想録『ザ・バンド 軌跡』(音楽之友社)も刊行。また、2010年にはドキュメンタリー映画“Ain’t in It for My Health:A Film about Levon Helm”も作られている。
Rick Danko
1942年、カナダのオンタリオ州生まれ、99年死去。ヴォーカル、ベース、ギター、フィドルなどを担当。ロニー・ホーキンスにスカウトされ、ザ・バンドの前身だったバンド、ホークスに加入。ザ・バンドの解散後はソロ・アルバム『リック・ダンコ』(78年)を発表。その後も数々のアルバムをリリースしている。また、リヴォンと共に83年に再結成されたザ・バンドにも加入しているが、ダンコの他界によって、新生ザ・バンドは活動休止となる。
Richard Manuel
1943年カナダのオンタリオ州生まれ、86年死去。ヴォーカル、ピアノ、ドラムを担当。子供の頃から聖歌隊で活動し、ピアノを弾いていた。地元のバンド、ロッキン&リボルズに入り、後にロニー・ホーキンスにスカウトされて、ザ・バンドに加入。83年の再結成のメンバーでもあった。繊細で心に響く歌声を評価されつつも、アルコールやドラッグに走り、最終的にはモーテルで自殺した。ソロのアルバムは作っていないが、85年のライブ音源を集めた『ウィスパリング・パインズ~ソロ・ライブ』が02年に発表されている。
Garth Hudson
1937年カナダのオンタリオ州年生まれ。キーボード、シンセサイザー、オルガン、アコーディオン、サックスなど、あらゆる楽器が得意なマルチプレイヤーで、ウエスタン・オンタリオ大学で正規の音楽教育も受けている。他のメンバーたちに演奏方法や編曲を教えていたといわれる。83年以降の新生ザ・バンドにも加入。ソロのアルバムとしては01年の『ガースの世界』他、何枚か発表している。また、映画音楽の仕事にも協力していて、『レイジング・ブル』(80)、『キング・オブ・コメディ』(83)、『ライトスタッフ』(83)などにかかわった。